緊急事態宣言解除とその後の”新しい日常”
こんばんは、石神井公園の歯科と矯正歯科 矯正担当の北村です。
緊急事態宣言が東京でも解除されて1週間ほど経過し、
明日から東京ではロードマップのステップ2に入るようです。
多くの業種で自粛解除が進むとあって、なんとなく街にも活気が戻ってきたように感じます。
しかし、その一方で ”新しい生活様式” が提案され、
元の生活にはもう戻れずに、生活を大きく変える必要があるようなイメージを受けます。
先日、養老孟さんのコラムを読みました。その中で、
”このところ、世界中でグローバリズムの必要性が盛んに唱えられてきました。日本もその中にあります。でも今回のコロナのパンデミックは、グローバル化による人の移動も原因です。これまで推奨されてきたグローバリズムは縮小し、代わりにナショナリズムが台頭するかもしれない。いずれにせよ、この後の世界をどうするのか、考えなければなりません。
しかし一口に「考える」といっても難しい。実際、教え子の大学生を見ていても、過剰なサービスや過干渉な親に慣れているせいか、自分で考えて動ける力を持っている人は少ない。
「考える」とは成熟することです。自分で考えられない大人を、成熟したとはいいません。考える力を磨く簡単な方法は、外に出ることです。
コロナだから外に出たらだめだって? そんなことはありません。それこそ、どうやったら安全か。三密じゃない場所はどこか。帽子は、水筒は、着替えは…と想定して準備すればいい。それが「考える」ということです。
「なぜ外に出てはいけないのか」と問い直すことも、「考える」ことかもしれません。”
と言っていました。
養老さんの言う「考える」は、ただただ「外出時にマスクをする。」だとか、「ソーシャルディスタンスを取る。」とかいう新しい生活様式で生活することではないのだと思います。
結局、少しでも客観的な情報を得て、その関わる事柄を想定をして準備をする。
誰かの指示を鵜呑みにして従うのではなくて、「考える」をした後に行動する事が必要不可欠となってきます。
そして、養老孟さんは、こう締めくくっています。
もし私たちがそのことを学ばなかったら、コロナはただの災害になってしまう。おかしな言い回しだが、ぼくは「コロナがあってよかったね」と思えるような社会になることを望んでいます。
今回のことを、災害とするのか、
「考える」ことを通じて成熟した人間・社会に変われるかどうかは、
私たちの意識や姿勢次第であるということだと思います。